大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和53年(ワ)1171号 判決

原告

平賀之博

右法定代理人親権者父

平賀光雄

同母

平賀幸枝

右訴訟代理人

南部孝男

外四名

被告

吹田市

右代表者市長

榎原一夫

右訴訟代理人

細見茂

主文

一  被告は原告に対し、金五四二万七一一一円及び内金四九二万七一一一円に対する昭和四九年一二月一三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その二を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一原告とYとが昭和四九年一二月一二日当時ともに吹田市高野台二丁目一六番所在の同市立高野台小学校の四年四組(担任石原教諭)に在籍する児童であつたこと、右同日、同組の第三時限目はテレビを利用した社会科の授業を行う予定であつたこと、そこで社会科係であつた原告は、授業開始の鐘が鳴つた後他の社会科係の児童二、三名とともに教室内のテレビのスイッチを入れ他の児童に対して静かにするよう注意していたこと、その際原告の左眼にYの投げたプラスチック片が当たつたこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、原告は、右事故により、左眼に穿孔性角膜外傷、外傷性白内障、外傷性虹彩炎の傷害を受けたことが認められる。

そして、〈証拠〉によると、Yは、午前一〇時四〇分からの右第三時限の授業開始のチャイムが鳴つた後も自席に着席しないでいたので石原教諭から、他の二、三名の児童とともに社会科係として社会科の授業時間に世話役をつとめる役割を与えられていた原告が席につくよう注意したこと、ところが、Yは、原告の注意に立腹して、たまたま所持していた長さ約一〇センチメートル余の前記プラスチック片を原告のいた方向に投げつけたものであることが認められ、右のようなYが行動を起した原因やプラスチック片が当たつた部位、更に、右プラスチック片が投げつけられた際に原告が急にその投げられた方向に移動するなど、これが原告に当たつたことについて原告の行動やその他の偶然の事情が介在したことは証拠上全くうかがわれないことなどに照らすと、Yは、本件のプラスチック片を投げるについて、積極的にこれを原告に当てようとする意図を有していたか否かはともかく、少なくともそれが原告の身体に当たるかもしれないことを認識しかつこれを容認していたものと推認することができる。

〈証拠〉によれば、Y自身は、本件事故後石原教諭や両親に対して、捨てるつもりで本件のプラスチック片を窓の方に投げたという趣旨の説明をしていることが認められるが(なお、〈証拠〉の災害報告書中にも、災害発生の状況として、Yが捨てようと思つて持つていたプラスチックの破片を窓の方に投げたところそれが原告の左眼に当たつたとの記載部分が存するが、同証言によれば、右記載内容は、同小学校の養護教諭坂井てるが本件事故後石原教諭らから聴取したものをそのまま記入したもので、Y自身の右説明に依拠していることが明らかである。)、右説明は、行為の結果の重大性に驚いた行為者自身の行為直後における弁解にわたるもので、前判示の諸事情からみてその真実性は疑わしく、前記の認定を左右するものではなく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

そうすると、原告の受傷は、Yの違法な行為により生じたものということができる。

二次に、被告の責任について検討する。

1  〈証拠〉を総合すると以下の事実を認めることができる。

(一) 高野台小学校では、第二時限と第三時限の授業の間に二〇分間の比較的長い休憩時間を設け、この時間帯に全校生徒を運動場及び体育館に分けて集合させ体育と音楽の活動をそれぞれの教科担当の教諭が指導して行なつていたが、本件事故の当日は、教職員の打合せがあつたため右の活動は行なわれておらず、全校職員が第二時限終了後職員室に集つていた。そして、石原教諭も、右休憩時間を職員室で過ごした後、第三時限の授業を行なうため、四年四組の教室に向かつたが、同教諭が教室に着いた時には授業開始のチャイムが鳴つてから数分が経過しており、前示一のとおりの経緯で本件事故が既に発生していた。

なお、石原教諭は、通常第二時限終了後の二〇分間の休憩時間には教師間の打合せ・連絡や授業の準備をするため職員室に戻つていることが多く、時には打合せ等が長引いて第三時限の授業に遅れることもあつたが、同教諭は平素担任の児童に対してそのような場含にも各教科について決められた係の児童の指示に従つて自習するよう指導していた。

(二)  ところで、同小学校でのYの生活態度は、入学当初から情緒不安定で落着きがなく、激情的な性格が目立ち、同級の児童ともなじみにくく、他の児童や教師に予測できない原因で突発的に粗暴な行動をとることが多く、物を投げたり喧嘩をしたりして他の児童に打撲傷・擦過傷程度の軽い傷害を与え、担任教諭らから説諭されることもしばしばであつた。このため、低学年のころは担任教諭が授業時間外でも目を離さないよう一緒に連れ歩き、四年に進級する時には特に同人をどの組に入れるかが教師間で話題とされるほどで、同小学校の全児童の中でも特に教育上配慮を要する児童であつた。

(三)  石原教諭は、Yが四年生になつた昭和四九年四月から同人を受持つようになつたが、従前の担任教諭からYの前記のような行動態度等について直接引継ぎを受け、岡本校長からも同人の指導には十分注意するように指示されていたうえ、Yが四年生になつてからも同級の児童になかなかとけ込めず、他の児童と口喧嘩や取つ組み合いの喧嘩をして時には他の児童に怪我をさせることも少なくなく、しかも同人のそのような行動は休憩時間や自習時間中に多いため、Yを長い時間目の届かないところに置いておくことには不安を感じていた。

(四)  そこで、石原教諭は、休憩時間もできるだけ教室で児童と一緒に過ごしたり、Yを職員室に連れてきて手伝いをさせたりして目をかけるよう心がけ、同級の児童に対して平素から物を投げるなど危険な行為は絶対にしないよう注意していたほか、特にYに対しては、その指導について同僚の教師とも相談のうえ、喧嘩をするなど問題のある行動をとつた際にはその都度十分事情を聞いてから注意指導し、また平常、積極的に話しかけるなどして理解に努める一方、同人が同級の児童集団にとけ込めるよう学級内の班編成の際もなるべくYと穏やかに話ができる者や気が合いそうな児童と同じ班にするなどの配慮をし、なお班活動を通じて他の児童にも自主的にYの問題のある行動について考えさせるよう指導していた。

また、同教諭は、担任児童の父兄との懇談会の際、Yの母親に対し、同人の学級での態度について知らせ、家庭での対処のしかたなどについて話合い、同年六月ころには特に父親を学校に呼出し、Yに落着のないこと、よく喧嘩をすることを告げて注意するよう要請したが、その際、父親から、Yは四歳のころから短時間ではあるが突然意識を失う症状が生じ、医師から脳波に異常があり小児発作であるとの診断を受け、以後発作を抑える薬を常用していること、医師から小児発作が原因で落着きを欠いたり、時には粗暴な行動をとることも考えられると言われたことを知らされた。

以上の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2 ところで、小学校の教諭は、学校教育法等の法令により学校における教育活動及びこれと密接不離な生活関係について法定の監督義務者に代つて児童の身体の安全を保護し監督すべき義務を負うものであるところ、右1で認定の事実によれば、本件事故が発生したのは、第三時限開始のチャイムが鳴り児童が教室に戻つてから石原教諭が入室するまでの数分の間で、しかも当日はこれに先立つ二〇分間の休憩時間にいつもは行なわれている体育や音楽の指導が教師間の打合わせの必要からとりやめとなつたため児童はこの時間帯を自由に過ごしていたのであるから、小学校四年生という十分な思慮分別を有するとはいい難い児童であれば、授業開始のチャイムが鳴つた後も担任教諭が入室するまでの時間帯にはややもすれば休憩時間中の解放的な気分が持続し、時に騒然として席を離れる者も出て秩序を欠く状況に陥り易く、ましてYは小学校入学当初から物を投げたり喧嘩をしたり、突発的に粗暴な行動をとつて他の児童に怪我をさせるなど問題のある行動が多く、しかもそのような行動は休憩時間や自習時間に多かつたのであるから、Yの担任教諭としてその性格行動を熟知し指導監督の必要性を感じていた石原教諭としては、担任する児童の身体の安全を保護するため、授業開始のチャイムが鳴つて児童が教室に入ると同時に自己も入室するか、それが休憩時間中の連絡、打合わせ等のために不可能な場合には他の教諭に特にYの監督を依頼するとか、休憩時間中からYを目の届く場所に連れてきておくなどの手段方法により、少なくとも授業時間開始後は(休憩時間中においては、児童は、ある程度気の合わない者や粗暴な者との接触を自ら避ける自由を有するが、授業時間開始後にはこれらの者とも同一級に属する以上は共に教室内の席について接触せねばならず、特に本件における原告の如く一定の世話係に任じられた者はたとえ相手が粗暴な性格の者であつても注意をしたり世話をすることを余儀なくされる立場に置かれるのであるから、担任教諭の児童に対する安全保護監督義務は休憩時間中に比して授業時間開始後は一層高度のものとなり、事故発生を未然に防止すべく万全の措置をとることが要求されるというべきである。)自己の担任するYを直接又は間接に十分な監視の下に置いてその行動を掌握監督し、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があつたと解するのが相当である。

被告は、本件事故の直前ころにはYの突発的な行動は収まつていたからYが本件のような行動に出ることを予見することは不可能であつた旨主張し、〈証拠〉中にはYが四年生の一学期終了のころから次第に落着きをみせるようになり突発的な行動も若干少なくなつてきた旨の右主張にそう部分があるが、他方当時同校の養護教諭であつた証人坂井てるは、Yは一年生のころからしばしば問題のある行動をとつて保健室に連れて来られ担任教諭に説諭されていたが、四年生の一学期終了のころから本件事故発生のころにかけてそのような機会が際立つて減少したことはない旨供述しており、右供述内容に照らすと、Yの前記のような態度の変化も特に際立つたものではなく、従前のそれと比較したうえでの相対的な印象にとどまると考えられるのであつて、本件事故発生のころ幾分その問題ある行動が収まつてきていたとしても、入学当初から四年生の一学期終りころまで継続して前記のような行動態度をとつてきたYが担任教諭不在の教室内において本件のような行動に及ぶことは石原教諭において十分予測することが出来たというべきである。

しかるところ、石原教諭は、Yに対して従前相当の注意と配慮をし、担任する児童に対して一般的に危険な行為をしないよう注意を与えていたことは認められるものの、授業時間開始後同教諭の入室が遅れる場合については、係の児童の指示により自習するよう指導していたのみで専ら児童の自主性にのみ頼り(教諭自身の監督の下に児童に世話係等の役割を与えて自主的活動をうながすことは集団生活における協同、自主、自律の精神を養う上で教育上適切な措置であるとしても、教諭の監視の及ばない場合に、しかも小学校四年生という思慮分別が十分でないうえにYのような問題行動を起しやすい児童が加わつている集団において、かかる自主的活動を行なわせるときには、ともすると問題のある児童のほこ先を世話係に向けさせ、その突発的行動による危険を世話係の児童にのみ負担させる結果を招きやすく、かえつて適切を欠くことになるといわなければならない。)、自己に代つて他の教諭に監督を依頼するとか特にYについて自己の目の届くところに連れてくるなどの適切な措置をとつていなかつたものであるから、仮に入室の遅れが連絡、打合わせ等の必要から生じた僅かの時間であるとしてもなお、担任児童に対する授業時間開始後の教室内における安全保護監督義務を尽くしたものとはいえず、従つて、同教諭には本件事故の発生につき過失があるといわざるを得ない。

3  被告が高野台小学校の設置者であり、吹田市教育委員会が石原教諭の服務につき監督権を有することは当事者間に争いのないところ、市は学校教育法によりその区域内にある学令児童を就字させるに必要な小学校の設置を義務づけられ、市立小学校の教諭は当該市教育委員会によりその服務について監督を受けるものである(地方教育行政の組織及び運営に関する法律第四三条)ことに照らすと、市立小学校の教諭が遂行する児童の教育等の職務は当該市の教育行政事務にほかならないのであつて、このことは、市立小学校職員の給与が当該市の属する都道府県の負担とされ、都道府県がその任命権を有することによつて左右されるものではなく、また右事務は国家賠償法第一条第一項にいう「公権力の行使」にあたるものといえる。それ故、市立学校の教諭が、その職務を行なうについて、過失により他人に損害を与えたときは、国家賠償法第一条第一項の適用があると解すべきであるから、被告は、本件事故により原告が被つた損害を賠償すべき責任を負う。〈以下、省略〉

(山本矩夫 矢村宏 三代川三千代)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例